こんにちは。
飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。
「ほどほどに」っていうのがわからない、という人がいます。
「普通」とか「中庸」が難しい、という人も案外多くいます。
そのように感じるのに至るのはそれなりの理由があるのですが(その話はまた今度)、日常生活でこの適度な調節がうまくできないとなるとなかなかの苦労です。
傍目からみても無茶なことをして、その結果、怪我をしたり、死んじゃったり(ライトに書いてますがそれって深刻な事態です)、または働きすぎて身体の具合を悪くしたりします。
性格ともみなされている、そういうある種の「極端さ」は人との関係でも起こりうるものです。
それは、特に近しい関係、例えば親子関係や親密なパートナー関係では顕著に出るもので、だからこそ自分も相手も苦しい思いをすることになります。
そういう人は職場なんかではなかなかにリッパなことが言えていたり、コミュニティの中でそれなりに一目を置かれていることも少なくありません。
しかし、家族やパートナー関係のような感情の伴う対人関係となると、様相が一変します。長時間にわたって一方的に自分の主張を繰り返したり、時には暴力に訴えたりして、相手に自分の怒りをぶつけるので、相手はヘトヘトになってしまいます。
そういう人は相手のことが嫌いなのかというと、全くそんなことはなく、相手に「自分のことをわかってもらいたい(でもわかってもらえない)」という矛盾した強い気持ちをもっています。
時にはその気持ちを「愛」としか表現できない、と言う人もいます(それを聞くとちょっとウププってなりますが、セラピストはその類の発言に対しては「そうですね」と軽くスルーすることにしています)。
そのような人々は、ココロの深いレベルで「誰も自分のことをわかってくれない」という、強い無力感を持っています。自分のことを話してもわかってくれないだろう、という恐怖や無力感は気が付かないうちにその人の行動パターンを支配するようになります。
すなわち、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感があると、自分の気持ちを押し込めがちになります。
大抵の人は対人関係においてなんらかの「ほどほど」の我慢はしていますが、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感を持っている人は、言ったってわかってくれないから言うだけ無駄だと脳ミソは指令を出すし、自分の正体がバレたら見捨てられる、と密かに恐れてもいるので、自分の感情を極端に我慢する傾向にあります。そして我慢し続けた気持ちがたまると、怒りや恨みとなり爆発するのです。
爆発をぶつけられた相手はどうなるでしょう。遅かれ早かれ倒れたり、去ることになるのです。そして結果、あなたは「やっぱり誰も自分をのことをわかってくれない」と無力感を上塗りすると同時に、深い自責の念でより苦しむことになります。
こんなことはもう終わりにしたいでしょう。そのためにはあなたは小手先のスキルではなくて、自分の真の感情に向き合う必要があります。
感情に向き合うのは「怖い」と誰しも思うことですが、ちゃんと向き合ってみると「案外、大丈夫だった」とも感じられると思います。
セラピストとしては、感情に向き合うという点においては容赦はしませんが、大切な人をきちんと本当の意味で大切にできるのなら、この努力は十分報われると思います。
今日はちょっと厳しめでした。
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